【 概 要 】−沢渡温泉(群馬県中之条町)は万里集九(室町時代の禅僧、歌人)や林羅山(江戸幕府に仕える儒学者)が日本三名泉と提唱する草津温泉の「治し湯」や「仕上げ湯」とも言われている名泉です。伝承によると、鎌倉時代初頭に浅間山麓で狩を行い草津温泉(日本三名泉)で汗を流した初代将軍源頼朝でしたが、余りにも強酸性の温泉だった事から肌を傷め、沢渡温泉の弱酸性の湯に浸かり肌を治して鎌倉に帰参したと伝えられています。又、現存する日本最古(7世紀後半〜8世紀後半)の和歌集である「万葉集」の中で詠まれた歌「左和多里能 手児尓伊由伎安比 安可麻我 安我伎乎波夜美 許等登波受伎奴」の「左和多里能=サワタリノ」は沢渡温泉の事とする説があり、これが正しければ、奈良時代には既に沢渡温泉が存在し、歌枕になる程に著名だった事になります。沢渡温泉の守護神である沢渡神社(建久2年:1191年創建・祭神:大巳貴神)の境内には上記の歌(さわたりの てこにいゆきあい あが駒が あがきをはやみ こととはず来ぬ)を刻んだ万葉歌碑が文政11年(1828)頃に丸本旅館の主人福田六右衛門によって建立されており、当地では古くから「左和多里能=沢渡温泉」説が流布していた事が窺えます。江戸時代末期には幕府を批判した事で幕府から追われていた高野長英(蘭学者・蘭医)が2度沢渡温泉を訪れ福田宗禎(当地出身の漢方医)はじめ、多くの門人や蘭学を学びたい若者が集まり、大きな刺激を受けたとも云われています。同じ中之条町にある六合村赤岩集落(国の重要伝統的建造物群保存地区)の名主湯本家にも高野長英を匿ったと伝わる部屋や伝承が残されおり、中之条町周辺が高野長英の隠遁場所の1つだった事が窺えます。明治時代に入ると、全国的にも知られるようになり若山牧水(文学者・歌人)などの文治墨客達が湯治に訪れています。温泉街には複数の温泉宿が点在し静かな町並みとなっています。
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