角田市(歴史)概要: 角田市の歴史は古く、角田市南西にある斗蔵山は古来から霊山として信仰の対象となっていました。山頂付近にある斗蔵神社の創建は日本武尊が東夷東征の際勧請したものだとされ、弘法大師なども訪れています。境内にある斗蔵寺は大同2年(807)に坂上田村麻呂が創建したと伝えられています。
同じく、角田市北西部には弘仁10年(819)に高蔵寺が徳一菩薩によって創建されたと伝えられ、治承元年(1177)に藤原秀衡の妻が阿弥陀堂を建立しています。宇治平等院鳳凰堂等と共に日本最古の七阿弥陀堂の1つに数えられ、東北には平泉中尊寺金色堂、いわき白水阿弥陀堂(福島県いわき市)しか現存しておらず国重要文化財に指定されています。
中世になると角田市周辺は相馬氏が支配していましたが、戦国時代では伊達氏が支配し両氏の領土が近接していた為、軍事的に重要視されるようになります。
天正19年(1591)に伊達政宗が奥州仕置きで岩出山に移封されると、南方の抑えの為、重臣の1人である伊達成実を角田市周辺の領主とします。しかし、文禄4年(1595)には不仲となり成実は出奔し、城明け渡しの際、家臣が反抗し30人の死者が出るという騒動が起こります。
慶長3年(1598)に石川昭光が角田城城主となると本格的に城下町の整備が始まり、現在の角田市の市街地に通じる町割りが行われます。
石川氏縁の長泉寺や八幡神社、天神社などを旧領地から集め、、阿武隈川水除土手などの治水工事も積極的に行いました。
配置当初の石高は1万石でしたが延宝6年には2.1万石と倍増しています。現在の角田市も周囲の中心的立場は変わらず、明治以降に建てられた店蔵(町屋)などが所々に散見して当時の繁栄ぶりが見てとれます。特に角田市郷土資料館となっている旧氏丈邸(角田市指定有形文化財)は見所の多い建物です。
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