丸森町(歴史)概要: 丸森町の中心部に鎮座する鳥屋嶺神社は延喜式の神名帳に記されている所謂式内社で、創建は不明ですが平安時代から丸森町が開けていた地域だったと考えられます。
中世に入ると伊達領と相馬領の境界に近く度々両家での領地争いがありました。特に伊達晴宗と父親稙宗が争った天文の乱後、丸森城を隠居場とした稙宗が死去すると、世話をした長女の嫁先の相馬家が丸森町周辺を奪取し、長い間双方で戦闘状態が続きました。
天正12年に伊達領に落ち着き、功のあった中島宗求が金山城を受け取り、対相馬に対し備えを固めます。近世に入っても緊張状態が続いた為、金山城は一国一城令で要害となった後も山城のままで、石垣や櫓を持つ強固な構えのまま明治維新を迎えます。
又、現在の丸森町中心部には阿武隈川舟運の川港として重要視され丸森館(所)に伊達家家臣佐々氏を配し周囲の統治を行います。ここではは阿武隈川舟運を利用し莫大な利益を得た豪商も生まれ町も大いに賑ったそうです。
繁栄は鉄道が敷かれて舟運が廃れるまで続き、現在の丸森町中心部には齋理屋敷を中心に店蔵の町屋などが軒を連ねています。
中には旧丸山郵便局のような近代建築も数軒見られ独特な町並みを呈しています。又、丸森町郊外には愛敬院や阿弥陀堂(マリア観音堂)、諏訪神社、四つ足門など勝れた建築文化財が点在し豊かな情景をかもし出しています。
丸森町・歴史・観光・見所の動画の再生リスト
|