郡山市(歴史)概要: 郡山市の歴史は古く大和朝廷の時代に阿尺国(安積国)が立国され比止禰命が国造として派遣されています。安積国造神社の由来にも繋がり郡山市中心部には針生古墳を中心に100基以上の古墳があったとされます。
平安時代になると郡山市鶴見にある清水台遺跡に安積郡の郡衙が置かれていたと推定され、周囲の中心的存在になりました。中央から多賀城(宮城県多賀城市)へ続く東山道も整備され郡山市周辺は葦屋と称し馬繋である駅(宿場)が設置されました。
平安時代に入ると平泉(岩手県平泉町)を本拠としていた奥州藤原氏が勢力を伸ばし郡山市を含む中通地方は家臣である信夫佐藤氏が支配します。
しかし、源頼朝が藤原氏を追討した奥州合戦で勝利すると功のあった工藤祐経が安積郡の支配権を得ます。中世に入ると郡山市を本拠とした大名はなく白河岩城氏や葦名氏、伊達氏によって支配され、豊臣秀吉の奥州仕置き以後は蒲生氏の所領となります。
蒲生氏が配置換えになると上杉氏の支配となりが関ヶ原の合戦で西軍に属した為、米沢30万石に減封され以後、郡山市は二本松藩に含まれます。文政7年(1824)に奥州街道の宿場町が正式に開設されると人工も増加に転じ現在の郡山市の祖となる町並みも次第に形成されていきました。
明治に入ると政府は国家事業として始めて安積開拓事業が実施しされると急速に発展し郡山市は福島県の中でも中心的役割をもつようになりました。
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