塙町(歴史)概要: 塙町の歴史は古く中央と陸奥国府であった多賀城(宮城県多賀城市)を結ぶ街道敷かれ「高野」と呼ばれる駅(馬を乗り継ぐ場所)が設置されました。
延喜式では「高野に駅馬二匹をそなえること」と記されていて当時から中央との繋がりがあったことを示しています。中世に入ると白川城を本拠としていた白河岩城氏の勢力下となり羽黒山城を始め多くの城が築かれました。
戦国末期になると太田城を本拠とする佐竹氏が奥羽に侵攻し、塙町周辺は白河岩城氏と佐竹氏の領地境界となり激しい攻防戦が繰り広げられました。
その後、佐竹氏が羽黒山城を攻略すると城を大改修し、南奥羽の一大拠点とし、ここを足がかりにして棚倉赤館、白川城を次々と落としています。関ヶ原の合戦で佐竹氏は東西中立を保った為、秋田へ移封となり塙町一帯は棚倉藩に組み込まれる事になります。
享保14(1729)からは天領となり塙町中心地には代官陣屋が置かれました。中でも初代代官だった寺西封元は22年間勤め上げ、不作で貧困になった農民に対して救民事業として行われた向ヶ岡公園(日本最古の庶民公園)造営や民衆教化などの善政をしいた為、名代官と称されました。
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