長野県・伊那市

  長野県の観光と歴史的建築物(ホーム)>伊那市
【 概 要 】−6世紀、朝鮮からの渡来人である猪名氏が支配した地域で、地名である伊那の由来になったとも云われています。長く春日城の城主伊那部氏が支配していましたが武田家の侵攻により没落しています。江戸時代に入ると高遠藩の領内に組み込まれ、三州街道(伊那街道:中山道の脇往還、中山道塩尻宿から東海道岡崎宿を繋ぐ街道、江戸時代中期以降は中馬と呼ばれる運送業が発展し各宿場は栄えました。)が開削されると伊那部宿が開かれます。伊那部宿は飯田藩の参勤交代で利用され、飯田城下と中山道の宿場町であった塩尻宿の中間でもあり多くの旅人や商人が集まり発展しました。明治時代に入ると三州街道が付け替えられ伊那部宿は衰退しましたが、新たな中心部は近代化によって発展しました。旧伊那部宿に残されている旧井澤家住宅(高遠藩内屈指の豪農、酒造業、往時は最大級の建坪を誇った格式の高い建物)は伊那市指定文化財、春日城跡(春日氏の居城、天正10年、織田信長の信濃侵攻により落城。)は現在も郭の形状や空掘、土塁などの遺構が残り長野県指定史跡に指定されています。
※ 当サイトへの相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。又、回答はあくまでも当社の考えであって1つの参考意見です。ご自身の責任でご判断下さい。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当社は一切責任を負いません。又、回答を直接的(当社の名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。 尚、リンクは自由ですが画像(写真)や文章等の利用は遠慮させていただいております。御理解の程よろしくお願いします。